麻生太郎財務相が18日の参院財政金融委員会で東京五輪・パラリンピックについて「呪われたオリンピック」と表現し、「40年ごとに問題が起きてきた」と自説を開陳した。麻生氏自身、五輪出場の経験があり(1976年夏季モントリオール大会・クレー射撃)、それなりの見識を持っているのであろうが、五輪については40年毎にだけ問題が起きている訳ではない。

■最大の呪われた五輪は1972年ミュンヘン大会

映画「21 Hours a Munich」から

 麻生財務相は1940年に戦局の悪化で冬季札幌大会、夏季東京大会を返上し、その40年後の1980年の夏季モスクワ大会が日本を含む西側諸国が旧ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議しボイコットしたことを挙げた。その40年後の2020年の夏季東京大会が、新型コロナウイルスで開催が危ぶまれる事態になっていることを指しているのであろう。

 確かに麻生財務相の言う通り、40年毎に大きな事件で五輪の存続そのものが危ぶまれるような事態になっている。しかし、僕が知る限り五輪の危機は40年ごとという訳ではなく、もっと頻繁に起きている。

 呪われた五輪といえば1972年の夏季ミュンヘン大会である。この大会は血塗られた大会となった。パレスチナ武装組織「ブラックセプテンバー」が選手村のイスラエル選手団を襲撃。選手らを人質にとり、イスラエルに収監されているパレスチナ人の解放を要求したのである。最終的に犯人グループによって人質9名は全員殺害されることになる。

 多数の死者が出た後、五輪を途中で中止にすべきかどうか話し合われたが、当時のIOCのアベリー・ブランデージ会長は大会の続行を決定した。このあたりは映画「21 hours at Munich」にもなっているので、興味のある方はご覧になっていただきたい。

■麻生財務相が出場したモントリオール大会もボイコットあり

 麻生財務相は1980年の夏季モスクワ大会をボイコットということで呪われた五輪としているが、1984年の夏季ロサンゼルス大会もモスクワ大会のボイコットの報復としか思えない旧ソ連を中心とした東側諸国によるボイコットがあり、当時、「片肺五輪」などと呼ばれた。

 また、麻生財務相が出場した1976年の夏季モントリオール大会はアフリカ諸国がボイコットし、出場国は92にとどまった。ちなみにその前の1972年の夏季ミュンヘン大会は121の国と地域が参加している。

 アフリカ諸国のボイコットは少し複雑なのだが、当時、アパルトヘイト(人種隔離)政策で世界から孤立していた南アフリカに、ラグビーのニュージーランド代表(オールブラックス)が遠征したことが原因。ニュージーランドが五輪に出場することにアフリカ諸国が抗議のため、ボイコットしたのである。

 以上、僕が知る限りの、呪われた五輪である。別に麻生財務相の揚げ足を取ろうという訳ではなく、呪われているのは決して40年毎だけではないというのをお分かりいただきたいという、どうでもいい話である。