今週発売の週刊競馬ブックに2019年の物故者が出ており、その中にルイジ・カミーチ(Luigi Camici)さんの名前を見つけた。1988年の凱旋門賞馬トニービンの調教師。同調教師とは競馬担当時代に少しだけ関わりを持っただけに、特別な思いがある。

■「レース後の優勝会見で会おうぜ」

コリエレデロスポルト電子版(2019年12月20日付け)から

 ルイジ・カミーチさんは2019年12月21日、93歳で老衰のため亡くなったという。イタリアのコリエレデロスポルト紙によると、1926年11月6日、伊トスカーナ州のリヴォルノ出身。1976年に調教師となった。

 1988年に管理馬のトニービンでG1凱旋門賞を優勝。その後、G1伊ジョッキークラブ大賞2着を経由し、この年のジャパンCに駒を進めた。凱旋門賞馬としては初のジャパンC参戦ということでJRA職員もかなり高揚した雰囲気であり、それは取材する僕たちも同じだった。

 カミーチ調教師が東京競馬場に姿を見せたのはレース前日の1988年11月26日。トニービンの前日調教を終え、それを見届けてから記者の囲み取材に応じた。

 当時62歳のカミーチ調教師は人の良さそうなおじさんで、ニコニコ笑いながら取材に応じていたのを覚えている。凱旋門賞馬の参戦で盛り上がる日本へのリップサービスもあったのだろう、サムアップして「いい状態だよ」「レース後の優勝会見で会おうぜ」という感じで大一番を前に自信をのぞかせていた。

■故大川慶次郎氏「オグリキャップを褒めてやってください」

 当時、僕は27歳。競馬担当になって4年目だった。今のように気軽に凱旋門賞を取材に行くことなど考えられない時代で、テレビの中でしか見られない凱旋門賞馬の調教師に話を聞けることが夢のようであった。

 日刊スポーツでは1面か裏1面でトニービンを扱い、僕はその原稿を書いた。「日本代表として悲壮な覚悟で本番に臨むタマモクロス、オグリキャップ陣営とは対照的に、陽気なイタリアンが『レース後の記者会見で会おう』と自信を見せた」という感じでまとめた。自分としてはかなりいい出来に仕上げられ、わざわざ担当の堀内泰夫デスクに「原稿、どうですか?」と聞きにいったほど。その時、堀内デスクは「力が入ってるなぁ」と苦笑していたが、何も直されずにそのまま掲載されていたから、悪くない原稿だったのであろう。

  第8回ジャパンC、勝ったのは単勝9番人気の伏兵、米国のペイザバトラーで、2着タマモクロス、3着オグリキャップ。トニービンは5着に終わった。テレビ解説の故大川慶次郎氏が「オグリキャップを褒めてやってください」と言ったレースである。個人的にはこの1988年がジャパンCのベストレースだと思っている。

■当時の堀内泰夫デスクに脱帽…(神か)

 あれから30年以上の時が過ぎ、陽気なイタリアンのカミーチさんが亡くなったことを知った。海外競馬に対して、ほんの少ししか扉を開いていなかった時代に行われた昭和最後のジャパンCを盛り上げてくれたカミーチさん、それに少しでも関われたことは幸運であったように思う。どうか、安らかにお休みください。

 最後に後日談を2つほど。

 トニービンを所有していたアレバメント・ホワイトスター社の代表はルチアーノ・ガウチ氏。同氏はトニービンで稼いだ賞金をもとにサッカーのクラブチームを買収したと言われる。それが後に中田英寿氏が所属することになるセリエAのペルージャである。

 もう1つは、今でも日刊スポーツOBとして競馬に携わっている堀内泰夫さん(75)の話。僕がトニービンの原稿を出した日、帰る間際に堀内さんが僕のところにやってきて「明日、競馬場に行けないから、馬券買ってくれよ」と5000円札と買い目を書いた紙を差し出した。

 「単勝16番 5000円」

 16番は単勝14.9倍のペイザバトラーである。

 (この人は神か)

 レース後にそんなことを思ったのを今でも覚えている。