先日、実家に戻った時に1枚の古い写真を見つけた。今から94年前、関東大震災で焼失した東京家政大の様子を撮影したもの。僕の祖父が撮影したと伝えられているワンショットである。

■東京家政大学、当時は東京女子専門学校

関東大震災時の東京女子専門学校(現東京家政大)

 東京家政大学のHPによると、同学は94年前は「東京女子専門学校」という名前であった。実は僕の祖母が卒業生で、1923年9月1日、始業式の日に大地震に遭遇したのである。

 祖母は体も小さく、怖がりのため、担任の先生が祖母の友人に「この人を家まで送ってあげて」と頼み、自宅まで送ってもらったそうである。後年、その話を祖母から聞いたが「1日中、揺れがひどかった。あちこちで火災が発生し、生きて帰れるか心配だった」と語っていた。

 その祖母を自宅まで届けてくれた友人は、そこから自分の家に帰る途中に事故死したそうである。その話を聞いたのは大震災から53年後の1976年であったが、 祖母は話しながらポロポロと涙をこぼしたのをよく覚えている。祖母がそこで死んでいたら、僕は今、この世に存在していないのだから、僕もその友人に感謝しないといけない。

■大震災で校舎が焼失、アーチ型の入り口に共通点

被災前の東京家政大(同学HPより)

 その東京女子専門学校(それ以前は東京裁縫女学校)の大震災当時の正門の写真である。東京家政大学のHPを見ると、その沿革の中で「関東大震災で校舎・寄宿舎を全部焼失。仮校舎で授業を続ける。」という記述があるから焼失したというのは歴史的事実であろう。

 HPには被災前の写真も掲載されているが、煉瓦造りのように見える部分は建物の同一性を感じさせる。また、入口のアーチ型は、消失した建物にあるアーチ型と同じ形のように思える。

 この写真は僕の祖父が撮影したものだという。祖父は当時、宮内省の役人であったはず。写真撮影が趣味で、大震災の時もあちこち写真を撮影。折り重なった屍体の山を撮影しようとした時は警察官から「これは撮るな」と言われたが、ノーファインダーで撮影したと聞いている。

 祖父母は大震災の時に結婚、もしくは婚約していたはず。そこで祖父は祖母の学校が心配になって立ち寄って撮影したのかもしれない。写真の裏に「東京裁縫女学校」と書いてあったように記憶している。それを後年、中学生だった僕が見つけ、アルバムに入れて保管したという経緯がある。こうした祖父の写真撮影して歴史を記録したいという考えは僕に遺伝しているのかもしれない。僕も高校生の時に浅間山荘事件の舞台に足を運んだし、少し前には3億円事件の現場を歩いてきた。

■東京家政大学に寄贈したいのだが…

 1年ほど前になるが、この写真を東京家政大学に寄贈しようと思って電話をかけたら、(その気があるなら、送って)みたいな、どうでもいいような応答だった(苦笑)。

 彼らは震災時の写真に歴史的価値を見出していないのだろうと思い、そのままにしてあるが、そのうち持っていこうとは思っている。もし、学校の歴史に加えていただければ、草葉の陰で祖父も喜んでくれるであろう。