逃亡犯条例改正案に端を発した香港の混乱で、10月1日、香港の警察官による実弾の発砲が行われた。高校2年生の男子生徒が被弾し左胸に重傷を負ったという。中国・香港政府の恐ろしさを感じる部分であり、文字通り「命懸けの反権力闘争」という状況になっている。そういう時に思うのは、日本で反権力を叫ぶ人たちとの違いである。

■高校生への発砲 日本では正当防衛は不成立

望月衣塑子さん、阿部岳さん何か言ってください(写真は産経新聞より)

 事件のあった10月1日夜、香港警察長官は会見を開き「発砲については正当防衛であり、適切な対応であった」という趣旨の話をしたと伝えられている。香港の警察官が発砲した場面の動画はYou tube等にアップされており、それを見る限り、高校生が金属製と思われる棒で警察官に襲いかかろうとした時に発砲がなされているから、外観上は防衛行動の一環に見えなくもない。

 しかし、日本の刑法でいえば正当防衛(36条1項)は認められないだろう。金属棒で襲いかかってきた相手に銃で応戦する行為は同項にある「やむを得ずにした行為」として認められることはないと思う。この「やむを得ずにした行為」とは「侵害に対する防衛手段として相当性を有するものであること」(最高裁判決昭和44年12月4日)を意味するから、金属棒で殴りかかってきた相手に心臓のある左胸を狙って発砲する行為が相当性を有すると判断する裁判官はおそらくいない。

 中国は30年前に天安門で多くの国民を戦車で踏み潰している。国民の生命に対する考え方も、日本とは全く異なるのだと思う。こういう権力を相手に抗議の意思を示す香港の人々は、まさに命がけで自由を求めていると言っていい。世界の歴史の中で、自由は、こうした勇気と時に犠牲の上に人々が手にしてきたものである。

■日本の警察の優しさ デモ隊に発砲しない

 日本の警察官は基本的にデモ隊に対して発砲しない(60年安保で女子大生が死んだ例はある)。1972年2月の浅間山荘事件で、山荘内に人質をとって立て籠もりライフルや散弾銃を乱射する連合赤軍に対して機動隊は最後まで発砲せず、死者が2人出る結果となった。また、日本では表現の自由が憲法で保障されているため政府を批判するのも自由であり、それを理由に刑事責任を問われることはない。日本は何と反権力に寛容な国家であろうかと思う。

 香港の命がけの反権力の姿を見て思うのは、日本で反権力を叫ぶ人たちの情けない姿である。彼らは、前述のように極めて安全な場所から石を投げているようなものである。命をかけて自由を守ろうとする香港のデモ隊に比べて、何とお気楽な立場であろうか。個人的に東京新聞の望月衣塑子記者、沖縄タイムスの阿部岳記者の姿がすぐに浮かぶが、彼らにとって反権力は命がけで自由を守る戦いではなく、数あるビジネスの1つに過ぎないのだと思う。

 しかも望月記者、阿部記者はツイッターを見る限り、香港警察の発砲については沈黙を貫いている。日頃、人権の重要性を訴え日本政府を批判しているのに、デモ隊への発砲という許し難い行為をした香港政府、そのバックに控える中国政府をなぜ、批判しない。まさに自由が銃で踏み潰されようとしている世界史的にも大事件が起きている時に、どうして沈黙していられるのか。彼らの反権力は、決して手を出してこない相手が対象という”限定品”なのか。僕は彼らの主張どうこうではなく、そういう相手を見て態度を変えるその姿勢が人間として信用できない。

■石平氏のツイートを今一度、嚙みしめよう

 かつて中国の民主化運動に参加したことがある評論家の石平氏は2017年にこうツイートしている。「『それでも私は権力と戦う』という東京新聞望月記者の台詞を鼻で笑った。私は今まで、本物の独裁政権と戦った勇士を数多く見たが、彼女のやっていることは、何のリスクもない民主主義国家で意地悪質問で政府の記者会見を妨害するだけだ。そんなのを『権力と戦う』とは、吐き気を催すほどの自惚れだ!」

 ツイートされた当時も話題になったが、我々はこの言葉を今一度噛みしめる必要がある。