仕事の都合上、若い留学生と話す機会が多い。先日、中国の北部出身の女子学生と話をしたが彼女とその世代の政治に対する考え方をうかがい知ることができた。彼女は「毛沢東の無誤謬性」など全く信じていないこと、周囲もそう思っているということ、それを堂々と口にすることに驚かされた。

■台湾の「媽祖」に注目したレポート

写真は「横浜媽祖廟」のHPから

 1週間ほど前、女子学生Aさんへの進学指導をしている時の話である。Aさんは大学時代に台湾に留学したという。そこで地域振興のためにすべきことをレポートにしてまとめ、大学がある市の観光課に提出した。

 その内容というのが中国人観光客に「媽祖(まそ)」への信仰を勧めるものであった。媽祖とは日本にもあるが、ウィキペディアによると「航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神」。

 この馬祖に絵馬のような瓦があり、自分の名前を書いて奉納すると願いがかなうという。これを中国の観光客に勧めるように、媽祖の由来や歴史などを書いて広めることを提案した。

■毛沢東は偉い人だけど…

 ウィキペディアにもあるように媽祖はもともと中国で信仰されていたものである。それなのに、台湾で「媽祖はこんなものですよ」「帰依しましょう」「布施しましょう」みたいな文章を書く意味があるのか、ということである。

 その点を聞くとAさんはこう答えた。「中国人は媽祖のことを知りません。文化大革命の頃、媽祖は迷信だからすべて壊してしまえということで、信仰の対象から外されたからです。そのため台湾で媽祖を見ても、お金を払って自分の名前を書くということを知らないのです」。

 それは理由としては納得である。しかし、台湾でのこととはいえ文化大革命の成果を否定するようなことを言って大丈夫なのか心配になった。

松田:もともと中国人は媽祖を信じていたということを知らせるわけでしょ?

Aさん:そうです。

松田:それは文化大革命を否定することになるけど、大丈夫なのか?

Aさん:大丈夫ですよ。

松田:毛沢東を批判することにならない?

Aさん:毛沢東は偉い人だけど、間違いは犯さなかったというわけではありません。偉い人は偉い。でも間違えることはあるというのは今の時代、みんな分かっています。

■毛沢東は「消極的な偉い」?

 毛沢東は偉い、という部分はニュアンスを伝えるのは難しい。話した印象では日本国民の天皇陛下に対する思いとは違うように感じた。支配する党の最大の功労者だから「あまりそこは触ってはいけないよ=偉い」という感じだろうか。消極的な「偉い」というイメージとでも言えばいいのかもしれない。

 日本では団塊の世代を中心に、中国共産党を無誤謬と信じていた人たちがいるが、そういう人たちに聞かせたいセリフである。

 中国人の進学指導では「現体制を批判する学術論文の発表は、中国では許されない」ということを嫌というほど見てきた。彼らが日本の大学に進学したい理由として、「日本では学問の自由が認められるから」というのは面接での重要な主張ポイントである。

 そういう指導をしているため、つい、彼らはどこまで喋れるのかという思いになりがち。しかし、今の若者はそのあたりはしたたかで、日本に留学している中国人は自国の政治体制への批判は結構している。もちろん香港に対して厳しい姿勢を口にする学生もいるが、印象としては「日本は自由でいいな」「ウチの国はうるさくて」という感じで話をする学生が主流と言っていい。

 留学生と身近に接するからこそ分かる部分がある。それが僕の仕事での楽しみの一つである。