あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」が開催から3日間で中止になった問題で9月25日、「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」が中間報告をまとめた。それを受け、愛知県の大村秀章知事は芸術監督の津田大介氏に厳重注意を与えた。しかし、最高責任者である知事の責任は問われた様子はなく、疑問が残る。

■中間報告「芸術の名を借りた政治プロパガンダ」との批判

大村秀章知事の責任はどこへ?

 中間報告について報じられた内容を総合すると、検証委員会は津田氏に対して①「背信とのそしりを免れない行為」、②「ジャーナリストとしての個人的野心を芸術監督としての責務より優先させた可能性」、③「あいちトリエンナーレの期待水準に達しない、『芸術の名を借りた政治プロパガンダ』と批判される展示を認めてしまった」と厳しい言葉を並べたようである。

 また、企画展の中止については④「差し迫った危険のもとの判断でやむをえず表現の自由の不当な制限には当たらない」と判断している。

 これらの判断の1つ1つに対する考えは後述するとして、それを受けた知事の対応について考えてみよう。知事は津田氏に対して厳重注意を与え、早期に展示を再開したい意向を示した。わずか3日間で開催中止に追い込まれたことが津田氏に責任があるのは明らか。しかし、それを任命した大村知事(あいちトリエンナーレ2019実行委員会会長)の責任はどうなっているのか。

■「ちょっととんがった芸術祭」と言った大村秀章知事

 2019年8月1日、津田氏が芸術監督に就任したことについて記者会見が行われた。大村知事は会見に先立ち委託状を津田氏に手渡し「ちょっととんがった芸術祭にしたいと思い、色々な情報発信を続けている津田さんに芸術監督をお願いした。その時々の社会情勢を含めて発信してもらえれば」と語ったとされている(朝日新聞電子版2019年8月1日)。

 「ちょっととんがった」という意味は「ありきたりなのものではなく、世間に波風を起こすような」という程度の意味であろう。津田氏はその言葉を受けて自分の中で「とんがった」と感じられるものの展示のお墨付きを得られたと思っても不思議はない。

 津田氏は厳重注意を受けても、芸術監督を続ける意向を示している。安易に再開して、また批判が殺到する事態になったらどうなるのか。もし、再開したいなら厳重注意ではなく津田氏を罷免してから行うべきであろう。普通の政治家なら「ここは混乱を招いた責任をとって職を辞する」と言うのであろうが、津田氏はそのようなメンタリティは持ち合わせていないようである。再び、同じことが繰り返されない保障がどこにあるのか。以前にも書いたが、このあたりが大村知事の絶望的な政治センスの欠如である。

 河村たかし名古屋市長は中間報告と、その後の知事の対応を受け「今回の騒動の原因を、全部、芸術監督の津田大介氏のせいにしているように見える。作品が選ばれた経緯などをきちんと明らかにすべきだ」と記者団の取材に答えている。まさにその通りであると、僕は思う。

■津田大介氏は「芸術監督の責務を放棄」

 最後に中間報告について伝えられる範囲で書いておこう。上記①の「背信」が具体的に何を指すか分からないが、3日で開催を中止せざるを得なかった状況に追い込んだことに関する行為全体を指していると考えるのが普通である。

 ②については、僕は以前、「ジャーナリストとしての立場を優先させることは芸術監督の責務を放棄するということに他ならず、職を辞するのは当然である。」と書いたが(トリエンナーレ津田大介氏の弁明の空虚さ 要は「月給泥棒でした」? :8月16日公開)、それが検証委員会の中間報告で認められているのは嬉しい。

 ③については、表現の不自由展の展示物が「芸術の名を借りた政治プロパガンダ」とまでは断じておらず、そのように「批判される展示」という表現にとどめている。検証委員会が作品を「政治プロパガンダ」と断じることを避けたのであろう。そこの線引きを問われた時に面倒なことになるのを恐れたのかもしれない。

 ④は最高裁平成7年3月7日判決、名古屋高裁金沢支部平成12年2月16日判決の考えをベースにしていると思われる。そのあたりは(「表現の不自由展・その後」の中止は、表現の自由の不当な制約ではない:8月4日公開)に書いたので、参考にしていただければと思う。