新潟県佐渡市の三浦基裕市長の日刊スポーツ新聞社社長時代の話を書いたところ、結構な数のPVをいただいた。8月に佐渡市で発生した自動車ごと海中に転落して運転手が死亡するという悲惨な事故の責任が市長にあるのは歴然としており、3月の高速船「ぎんが」の事故時の対応を含め、市長に対する社会の怒りが根底にあると思われる。そこで三浦市長の日刊スポーツ新聞社時代を知る身として、各メディアでも大きく取り上げられた同社長の解任劇を当時の社員の目線で連載でお届けする。そこから三浦市長の人となりを感じていただければと思う。

■東日本大震災から3か月後の株主総会

自宅にあった日刊スポーツ在職時に使用していた封筒

 株主総会が行われたのは、東日本大震災からおよそ3か月後の2011年6月28日。前にも説明したが、日刊スポーツ新聞社の株式は過半数を会長の川田員之(かずゆき)氏が所有しており、朝日新聞はおよそ30%程度。川田氏が支配株主のオーナー会社である。

 三浦氏は1980年入社で野球部の記者としてスタート。順調に出世の階段を登り2009年に52歳の若さで社長に就任した。就任前に各セクションの担当取締役を何年かずつ経験しているが、それは社長就任の準備と目されていた。そのため52歳という若さでも社内事情からは満を持しての社長就任であり、相当な長期政権が予想されていた。

 三浦社長にとって2期目となるための株主総会は中央区築地にある本社で行われ、社長自らが壇上で議事進行を行なっていた。ここから先は僕が在職中に総会に出席していた社員に直接聞いた話である。その社員はまだ在職しているため人物が特定できるような内容は書くのを控えるので、ご承知いただきたい。

■室内に響く「修正動議!」の声

 取締役の選任の議題に移る時に、ある株主が大声で「修正動議! 修正動議!」と叫び挙手した。その株主は日刊スポーツの外部の人間で編集プロダクションのような事業を行う会社の代表という。所有するのは数株の”泡沫”株主である。修正動議は6名の取締役選任を、三浦基裕氏を除く5名とする動議であったと聞く。

 その時「三浦社長は冷静に見えた」と出席していた社員は言っていた。川田会長と朝日新聞で8割以上の株式を持っているから、わずか数株の株主が修正動議を出したところで通るわけがない。要は三浦社長に恨みを持つ株主が嫌がらせで修正動議を出した、その程度に考えた上での余裕であろう。「『うるせえなぁ』とか『面倒くさいなぁ』みたいな感じに見えたね。簡単に否決できると思ったんだろうな」と僕の情報源になった社員は言う。

 三浦氏が「修正動議に賛成する方は挙手してください」と言ったところ、修正動議を出した株主が挙手。そして、壇上ではなく株主席にいた川田員之氏が挙手したのである。予想もできない事態に会場はどよめく。ざわつきが続く中、川田氏はこう言った。「私は過半数の株式を持っています。それを計算して採決してください」。

■解任された三浦社長「これからの日刊スポーツをよろしく」

 総会後、解任された三浦氏は川田氏の所へ行き「これからの日刊スポーツをよろしくお願いします」という趣旨の挨拶をしているのを、情報提供してくれた社員が目撃している。

 オーナーに向かって雇われ社長が何を言うかという気がするが、解任された社長として精一杯の虚勢を張っていたのかもしれない。これに対して川田氏は「長い間、ご苦労様でした」とだけ応えたそうである。(第2回へ続く)