札幌市南区の住宅地に出没していた羆(ヒグマ)を8月14日早朝、ハンターが射殺、駆除した。これに対して市には15日までに約300件の意見が寄せられ、その大半が射殺したことへの抗議であったと伝えられている。しかし、これは国民の生命や安全を守るためには仕方のないことだと思う。人間が生きていくために支払わなければならないコストと言い得るもので、この考えは社会のあり方、国家のあり方に通ずる大事な問題と考えられる。

■ヒグマ射殺への抗議約300件、ほとんどが道外から

札幌市民の命より、クマが大事なのか?

 射殺された羆は体長140cm、体重128kgのメスで、8月6日から連日のように出没していた。当初は人を避けていたが徐々に慣れ、車が通っても逃げずに居座るようになっていたと報じられている。

 札幌市に寄せられた意見約300件は「ほとんどが首都圏や関西など道外からで、『麻酔で眠らせて森に帰して』『捕まえて動物園に移して』などの抗議だった。」という。これに対して札幌市は「人命を最優先した。不測の事態を招く恐れがあるクマの駆除はやむを得ない」と説明した(この部分、北海道新聞8月15日付け電子版から)。

■「熊は、犬や猫やハムスターと違うんだよ」の声をどう聞く

 クマは愛らしい姿とは裏腹に人間を襲う危険な動物であり、開拓時代には数多くの人が犠牲になっている。1915年の「苫前事件(三毛別事件)」では凶暴なクマに襲われた7人が犠牲になった。僕がツイッターでフォローしている日中バイリンガルのフリーアナウンサーで北海道出身の雪希さんは、以下のようにツイートした。…北海道の人間として言いたい。熊は、犬や猫やハムスターと違うんだよ。人間を襲うんだよ。自分は遠くの安全な場所にいて批判を言うのは勝手だと思う」。

 麻酔銃で眠らせて森に返せとか、動物園に移せという意見もあった。しかし、札幌市では当初、10日に箱わなを2基設置したが効果がなかったのである。射殺という結果について「麻酔銃での捕獲は難しい」と説明。仮に捕獲できたとしても受け入れる動物園があるのか、あったにせよ凶暴な野生のクマを相手に飼育係の安全は守られるのか、解決は簡単ではない。

 このあたりの事情を日刊スポーツ(8月14日電子版)が詳細に伝えている。当初は駆除の予定はなかったが、明け方になっても山に戻らず危険が高まったことや、フンから人由来のもの(農作物)が出てくるようになった等の事情を考慮し、最終的に駆除の判断を下したという。

■絶対的戦争反対論者「殺すなら殺される」との共通点

 「クマを殺すな」という意見は多くの人の感情に訴えかけるのは事実だが、現実には極めて難しい。そのことが現地住民の生命や安全を脅かす事実を忘れてはならず、自分には危害が及ばない場所から言うことは無責任極まりない。

 動物を射殺すること自体を楽しいと思っている人間など、ほとんどいないだろう。だが、人間が生活をしていく上で、その生命や財産を保障するのが行政の務めであるから、時に感情よりも行政としての責務を優先しなければならない時がある。「クマがかわいそうだから、射殺するな」と主張する人は「札幌市民が死傷しても、クマを殺すな」「札幌市民の命はクマ以下」と言っているに等しい。

 我々は「クマを殺すな」という主張と、同じようなことを言い立てる人たちを知っている。彼らはこう叫ぶ。「戦争は絶対にいけない」、「殺すぐらいなら、殺される方を選ぶ」。

 自分が死ぬのは勝手だが、生きたいと願う他者を巻き込むことになる点に、彼らの想像力は及ばないのであろうか。あるいは自分は安全な場所にいることを認識して、他者の痛みを見て見ぬフリをするのかもしれない。そうした絶対的戦争反対論者の自分以外の人間の生命と安全を軽視する発想は、「クマを殺すな」と抗議をしてきた人たちにも通ずるものがあると思う。