”核兵器廃絶記者”と論争 安全保障は被爆者だけのものか

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松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 8月6日は広島に原爆が投下された日である。今年も原爆忌が行われた。この季節になると思い出すのが、僕が日刊スポーツ在籍当時、大阪日刊スポーツから出向で東京に来ていたO記者のことである。彼の祖母が原爆の被害者であったようだが、僕はそのことを全く知らず、ある時、核兵器をめぐることで話をする機会があり論争になった。

■O記者との論争、発端は北朝鮮関連

写真は広島市のHPから

 おそらく、小泉純一郎首相の訪朝後、北朝鮮関連の話になった時だと思う。彼と核兵器をめぐる話になった。僕は日本の戦後の平和が米軍の核の傘によって守られた事実を指摘し、日米安全保障条約が失効するようなことがあれば、核武装せざるを得ないというような趣旨の話をした。

 それに対して、彼は猛然と反論してきたのである。詳細はあまり覚えていないが、概ね、こんな感じだった。

松田:米軍が撤退したら、中国、ロシアと周囲は核保有国に囲まれてしまうから、米軍の核の傘がなければ国の独立は守れないだろう。

O記者:日本は絶対に核兵器を持ってはいけません。

松田:何で?

O記者:世界で唯一の被爆国だからです。

松田:核兵器を使ったアメリカに対して「2度と使えないように持たせるな」と言うなら、分かるが、被爆国が持ってはいけない理由ってあるのか?

O記者:原爆の恐ろしさを知っている国だから、持ってはいけないんです。

松田:日米安保なしにどうやって国を守るんだ?

O記者:…

松田:核兵器を持つことは抑止力を持つことだろ? 日本を核兵器で攻撃したら必ず核兵器の反撃があると相手に思わせれば、核兵器の使用を思いとどまらせることができる。それで平和を維持するしかないんじゃないの、米軍がいなくなったとしたら。

O記者:松田さんは日本は核武装した方がいいという考えなんですか!

松田:日米安保が失効したら、あるいは米国が核の傘から日本を外したら、そうするしかないと思うよ。

O記者:…

松田:…

O記者:僕の祖母は原爆で死んだんです!

松田:あ、そう。それはお気の毒。そういう悲劇が二度と起きないように、日本も核による抑止力をしっかりと持った方がいいね。

O記者:日本は持ってはダメです。

松田:何で?

O記者:国内で革命が起きた時、革命を鎮めるために政府が使用するからです。日本はそういう国です!

松田:そう思うのは君の勝手だよ。「日本人は自国民に対して原爆を使うから持ってはいけない」と堂々と主張すればいいんじゃないの。僕がしているのは、君が言う「革命」が起きる前に他国から攻撃があった場合はどうするかという話だからね。

 ちなみに「米国が核の傘から日本を外す」とは、例えば外国からの核攻撃が現実味を帯びる中、米国が「同盟国への核攻撃は米国への核攻撃とみなす」と明言しないことなどを指す。O記者がどこまで理解できたかは分からない。何しろ「日本で革命が起きたら…」の記者、僕とは別の世界で生きていたようであるから。

■核兵器の使用は非保有国に対して行われた事実を正視せよ

誰だって原爆の被害には遭いたくない

 僕としては原爆の犠牲者は苦しく、無念であったと思うし、今は「安らかにお休みください」と申し上げるしかない。同時に非戦闘員を大量に虐殺した米国のやり方は絶対に許すことができない。

 最も大事なことは、そのような悲劇が二度と起きない、起こされないようにすることである。大量虐殺に使われた兵器が世界中からなくなればいいが、それは現時点では、ほとんど実現が不可能であろう。

 遠い遠い将来、そういう日が訪れるかもしれない。ならば、その日まで、大量虐殺から国民を守るためにはどうすればいいかということを国民全体が真剣に考えなくてはいけない。それは行政の責務でもある。その手段は核兵器を持たないことでは達成できない。核兵器を相手に使わせないことである。

 核兵器が使用された国は世界で日本だけであり、当時も今も日本は核兵器の非保有国。核兵器による攻撃は、保有国が非保有国に対して行なったという事実は軽く見るべきではない。正面から向き合わないといけない。だから、北朝鮮は核兵器の保有にこだわっているのであろう。

■日本の平和と安全は被爆者だけで決める問題ではない

 O記者は今でも日刊スポーツで働いているようであるが、「日本は自国民に対して原爆を使うから、核兵器を持ってはいけない」と主張しているのかまでは知らない。彼に限らず、広島や長崎の関係者は身内の悲劇を言うなら、どうやったらそのようなことが起きないようになるのかを真剣に考えてほしいと思う。

 「戦争は絶対にいけない」と言うのは勝手だが、北朝鮮は今月もミサイルを発射している事実にも正面から向き合うべき。日本の平和と安全は、被爆者とその関係者だけの専権事項ではないということを、理解しなければならない。

"”核兵器廃絶記者”と論争 安全保障は被爆者だけのものか"に2件のコメントがあります

  1. 名無しの子 より:

    松田さん。おみそれ致しました。これは2019年の記事なんですね。そんなに前から、そのような事を考えていらっしゃったなんて、凄いです。私はその頃はまだ、頭の中はお花畑の平和ボケで、綺麗事の世界にいました。
    でもコロナが流行り、これまでSFかパニック映画の中だけのものだと思っていたパンデミックが現実のものとなり、何が起こっても不思議ではないんだという事がわかりました。
    ただ一つだけ。松田さんにも、予想できなかった事が起きてしまいましたね。
    「遠い遠い将来、そういう日が訪れるかもしれない」
    決して、遠い将来ではなかったという事です。それは、大変悲しい事ですが。こちらの記事から、わずか3年後、真剣に、現実的にこの問題を考えなければならない日がくる事になろうとは。誰も思いませんでしたね。

    1. 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵 より:

      >>名無しの子様

       2019年に書いた記事を読んでいただき、ありがとうございます。

       新聞社にいると、こういうことは考えないようにするという習慣が身についている記者が多いように感じます。現実的な脅威を考えると、自らの政治主張が破綻してしまうからでしょう。

       O記者のように、少しでも問い詰めるともう何も言えないに等しい状況に陥ってしまいます。そのレベルの記者が多いということでしょう。そういう会社にいると、僕のような人間はやめたくなるというのも分かっていただけるかと思います。

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