日本政府による輸出管理の厳格化に反対して、ソウル市中区に行政主導で「NO BOYCOTT JAPAN 行きません 買いません」と書かれた旗が通りに1100本掲げられたが、国民の反発を受けて数時間後に撤去されるという事態があった。8月7日のニュースでも大きく扱われたこの事案、様々な意見や見方があることは承知だが、僕にとって最も衝撃的だったのが、旗を撤去する韓国人の姿である。

■トラックの荷台に太極旗を放り投げる韓国人

これはない…

 NO JAPANの旗は「NO」の「O」の文字が日の丸を象(かたど)っているように見えるが、それはいい。大事なのは報道で確認する限り、この旗は韓国の国旗(太極旗)とセットになって掲げられていることである。

 テレビ朝日の報道ステーションで報じられた様子を見ると、この旗を撤去する中年男性は、2つの旗を外すと、おもむろに軽トラックの荷台に放り投げていた。

 「マジか!?」

 その時の僕の感想はこんな感じである。太極旗、自分の国の国旗をどうしてあんなにぞんざいに扱えるのか。それに対して、多くの人は何も文句を言わないのか。

■羽生結弦選手の国旗に対する敬意から見えた日本人の国民性

 羽生結弦選手が平昌五輪で手にした日章旗を「国旗なので床に置けません。誰か持っていただけませんか?」と言ったシーンを覚えている方も多いのではないだろうか。日本人にすれば、それは別に特別なことではなく国旗に対する最低限の敬意であろう。

 我々は日常、他国の国歌を聞く機会が少なくない。サッカーの代表戦では必ず相手国の国歌が流れる。ワールドカップ予選、女子の五輪予選で北朝鮮の国歌が流れた時にブーイングをした日本人はいなかったように記憶している。相手国が自国民を拉致した国であっても、その国歌が流れた時にブーイングをするメンタリティーを普通の日本人は持ち合わせていない。

■国民性の違いで片付けられるのか?

 今回の韓国人の行動を「国民性の違い」であるとか、「本当は撤去したくないのに撤去しなければならない悔しさから、扱いがぞんざいに見えたのでは」という意見はあるのかもしれない。

 しかし、日本では侮辱の目的での外国国章損壊等が禁止されているように(刑法92条)、国旗に対する扱いは特別なものであることは、世界共通の観念と思われる。まして自国の国旗である。国民性の違いで片付けられる問題ではないと思う。自国の国旗を丁重に扱えない人が他国の国旗に対しても敬意を持って接することはできるはずがない。もし、それが韓国の国民性なら、それは早急に改めた方がいい。

 そして撤去する悔しさがあるとしても、それは仕事をする上でのエクスキューズにはならないし、そういう時こそ、冷静に国民としての誇りを守る行動をすべきであろう。

■韓国人の愛国心の本質、遠い相互理解への道

 韓国は自国愛が強い国だというのは日々、報道されている。しかし、自国の象徴である国旗に対してあのぞんざいな扱いを見ていると、一体この人たちの愛国心とはどういうものなのだろうという気がしてくる。

 我々は韓国民の愛国心が特に日本に対してネガティヴな力となって向かうことを多く経験してきた。もしかすると、彼らは国を愛しているのではなく、他国を憎むことで自国への愛情を確認しているのではないか。だとしたら、何とも哀しいことである。

 問題の行為をした人が全ての韓国民を代表するとは思えないが、周囲の人からも抗議をする様子もないことを考えると、国としての韓国との相互理解はまだまだ遠いと思わざるを得ない。