日本維新の会の丸山穂高衆院議員の北方領土に関する発言が問題になっている。2019年5月11日、北方領土のビザなし交流の日本側訪問団に同行し、訪問団の団長に酒に酔って「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」と質問し、「戦争をしないと、どうしようもなくないですか」などと言ったという。その後、日本維新の会を除名されたが議員辞職はしない意向を明らかにしている。野党は議員辞職勧告決議案を17日に提出し、自民党は非難決議案を出す意向だと伝えられている。

東京新聞は言論弾圧機関?

 論評するのもバカバカしいが、「愚かな発言」だと思う。本人は撤回したようだが、政治家としては既に終わっているであろうから、早く次の仕事を見つけた方がいい。

■東京新聞の社説にびっくり、「『戦争』発言 言論の自由とは言わぬ」

 しかし、丸山穂高議員の発言以上に、5月17日の東京新聞の社説には驚かされた。この丸山穂高議員の問題について論じたもので、タイトルは「『戦争』発言 言論の自由とは言わぬ」というもの。タイトルを見る限り丸山穂高議員の発言は「言論の自由」の保障外にあると言いたいようでもある。実際に以下のような主張がされていた。

「自衛目的以外の武力の行使を禁じた国際法上認められず、憲法9条の戦争放棄と、99条の国会議員の憲法尊重、擁護義務にも反する。にもかかわらず『言論の自由』を持ち出して議員の地位に恋々とするとは何事か。」

「政治は言葉を駆使して理念や政策を実現する『可能性の芸術』でもある。『言論の自由』を持ち出せば、何でも許されるわけではない。」

■そもそも言論の自由とは? 思想の自由市場論・対抗言論の原則

 言論の自由は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める憲法21条1項で保障されている。もちろん表現の自由、今回問題になっているのはその一部である言論の自由であるが、それは無制約に認められるものではない。性表現や名誉毀損的表現は比較的制約を受けやすい。政治的表現でも制約がないわけではないが、それを規制するのは非常にハードルが高く設定されている。このことは政治に対する異論を認めず、戦争へと突き進んだ戦前の苦い経験がベースになっていると考えていい。

 そのため政治的な発言に関しては基本的に「思想の自由市場論」「対抗言論の原則」の中で論じられるべきものである。憲法の先生の言葉を借りれば「表現の自由の保障は、国家の干渉がなく、すべての思想が市場の登場することを認めれば、思想の自由競争の結果、人格の実現や民主主義過程の維持保全にとってよい結果が達成されうる」(基本講義憲法p138 市川正人 新世社)からである。表現に厳しい規制をかければ、それは民主主義のシステムの破壊につながる。明確な規制がないのに、それを許さない社会になれば、規制の萎縮的効果をもたらし、やはり民主主義への否定につながる。

■表現の自由を守るためのコスト、東京新聞の二重基準

 表現の自由はそういう性質も持つものなのである。「バカなことを言ってる」と思っても、それを頭から禁止するとそれに伴う副作用(民主制の否定など)が大きくなるため、自然に淘汰されるのを待つしかない。何とも効率が悪いが、それは我々が手にした自由を守るためのコストと言っていい。

 1999年に辻元清美衆院議員が「朝まで生テレビ」で「天皇もおかしいんや!天皇制もおかしい!」と発言しているが、これも東京新聞の基準では「99条の国会議員の憲法尊重、擁護義務に反する」ことになるであろう。しかし、その問題で東京新聞が「言論の自由などではない」と非難したとは聞かない。こうした発言をテレビで堂々とできるのも、表現の自由があればこそであり、我々は彼女が発言すること自体は許容しているのである。

 結局、東京新聞の基準は自分が認める表現だけ、表現の自由の保障を受けると言っているに過ぎないと僕は思う。自由な言論に対して問答無用で排除する姿勢と、その二重基準ぶりに言論機関として致命的な能力の欠如が感じられる。