豊田亨はもうこの世になく…オウム真理教事件の虚しさ

The following two tabs change content below.
松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

松田 隆🇯🇵 @東京 Tokyo🇯🇵

青山学院大学大学院法務研究科卒業。1985年から2014年まで日刊スポーツ新聞社に勤務。退職後にフリーランスのジャーナリストとして活動を開始。

 少し前のことになるが、7月26日にオウム真理教の元信者の死刑囚6人の死刑が執行された。これでオウム真理教関連で死刑判決を受けた13人、すべて刑が執行されたことになる。

■7月6日に麻原彰晃ら7人を執行

豊田亨はすでにこの世になく・・

 最初に言っておくが、僕は死刑存置派である。その意味では司法が出した判断に従って、刑が執行されることは当然だと思う。オウム真理教の死刑囚を見ると、7月6日に先に執行された7人は麻原本人を含み、井上嘉浩、新実智光、早川紀代秀など多くの事件で中心的な役割を果たした者、全く反省がないと思える者に加え、サリン製造に関わった人間であり、何となく「先にやられる」だけの理由があるように思えた。

 法務省は死刑の順番について理由を明らかにしていないようだが、犯情の悪質さみたいなものが考慮されているような気がするのは僕だけではないだろう。

 そして今回の6人。個人的には前回の7人に比べてショックが大きい。法の適正な執行という点ではいいのだろうけど、豊田亨みたいに真摯に反省しているであろう人が処刑されるのは、分かってはいても辛いものがある。

■地下鉄サリン事件で死刑を免れた林郁夫受刑者

 地下鉄サリン事件の実行犯で唯一死刑を免れた林郁夫の場合は自首に相当し、事件の解決に大きな貢献をしたこと、反省が顕著であること、被害者感情も悪くないことなどから無期懲役になったが、豊田亨の場合、少なくともその精神状況については、林郁夫とそれほど差があるようにも思えないのだが…。

 それに豊田亨がサリンの散布役になったといっても教団の決定に逆らえず、間接正犯の道具という側面もあったのではないかと思う。それを麻原彰晃と同じ死刑執行というあたりにどうにも居心地の悪さを覚える。

 豊田亨の一審の最終陳述は「犯した罪はどんな罰でも償えない。生きていること自体申し訳なく思う」だったと伝えられている。彼自身、そう思っているのだから、執行は適正ということなのであろう。法治国家が法治国家としてあり続けるための、必要なコストと考えるしかないのかもしれない。

■何とかならなかったのかなとの思い

 今回の件があっても死刑存置派としての個人的な考えは微動だにしないが、それでも豊田亨のような場合、何とかならなかったのかなという思いがしてならない。

"豊田亨はもうこの世になく…オウム真理教事件の虚しさ"に1件のコメントがあります。

  1. 月の桂 より:

    私も、死刑制度には賛成の立場です。

    以前、死刑囚のドキュメンタリー(弁護士会の企画)の上映会に行ったことがありますが、それを見ても、死刑制度を否定する考えにはなりませんでした。

    しかしながら、堀川惠子著「裁かれた命 死刑囚から届いた手紙」に、いたく心を打たれ、死刑にしてはいけない人もいるのだと思いました。堀川さんは、罪を犯した人を描く作品が多く、教戒師と言えども万能では無いことや永山基準が作られるまでの過程も知り、一時、死刑廃止に傾きそうになりましたが、家族を奪われた遺族の血を吐くような叫びを耳にすると、やはり、死刑存続は当然だと思います。(犯罪被害者支援センターで、遺族の講演を聴きました)

    門田隆将さんの著書から、井上嘉浩(さん)には同情も感じ、死刑執行には疑問が残ります。宗教は、人を導き救ってくれるものですが、狂った教祖により破滅させられるものでもありますね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です