8月4日の毎日新聞の社説は「自民党が杉田議員を『指導』 形だけ取り繕う空々しさ」というタイトルで、自由民主党の杉田水脈(みお)衆院議員が月刊誌「新潮45」に寄稿した文章についての一連の事件について扱っている。

毎日新聞の社説は偏見に満ちていると思う

杉田議員はLGBTなど性的少数者を「生産性がない」などと表現したわけで、これに対して毎日新聞は「特定の少数者や弱者の人権をあからさまに侵害するヘイトスピーチの類い」と断じだ。その上で、自民党が月刊誌の発売から2週間以上経過して党見解が出されたことを「国民の批判が高まって仕方なく対応したのだろう」「批判だけかわそうと形だけ取り繕うから、余計に空々しく聞こえる」としている。

性的少数者が「生産性がない」というのは事実であろう。世界の全ての人が同性愛者になって、異性間のセックスが一切行われなくなったら、人類は100年ちょっとで1人もいなくなる。これは論理的帰結であって、その意味で杉田議員は「生産性がない」と言ったのであろうし、その指摘は間違っていないと思う。ただ、そのことが性的少数者を差別するものであってはいけないというのも、その通りだと思う。

ただ、日本国憲法は思想・良心の自由、表現の自由を保障している。異性間のセックスを行わない人ばかりになったら社会構造が大きく変わるし、ひいては国家の存立に関わる事態にもなりかねない。それを立法府の構成員として憂うのはある意味当然のことであり、そうした多様な意見の存在こそが民主主義の根幹を支えている。

そこで毎日新聞の社説を見てみよう。

「国民の批判が高まって仕方なく対応したのだろう」

「自民党がこの問題に及び腰なのは安倍晋三首相と杉田氏の「近さ」をおもんぱかったからではないか」

「杉田氏が衆院選比例中国ブロックの名簿順位で優遇されたのは、首相の後押しがあったからだとされる」

「批判の矛先が首相に向かい始めたため、慌てて火消しを図ったようにも見える」

これ、全部、毎日新聞の想像で、最初から偏見丸出し。客観的な第三者としての論評という報道機関の役割を放棄しているように、僕には見える。

そして次の部分こそが問題の核心。

「寄稿内容は特定の少数者や弱者の人権をあからさまに侵害するヘイトスピーチの類いであり、理解不足などというレベルの話ではない」

「謝罪や反省の言葉はなかった」

「二階俊博幹事長は・・『人それぞれ、いろんな人生観もある』と杉田氏をかばうような発言もしている」

「批判をかわそうと形だけ取り繕うから、余計に空々しく聞こえる」

「謝罪や反省の言葉はなかった」というのであるから、杉田議員の個人的な政治信条は許されないということなのであろう。二階幹事長が「かばうような発言」というのも「かばうことは許されないことだ」という考えに基づいているのだと考えられる。

繰り返すが、日本国憲法は19条で思想・良心の自由、21条1項で表現の自由を保障している。杉田議員がどう考えようが本人の自由、表現の自由も一定の制約があるとはいえ、杉田議員の原稿は毎日新聞の社説を見る限り、排除されるべき公序良俗に反するような言論にはあたらないと思う。

安易に言論の自由の制約を認めると、それこそ我々が自由に物を言えなくなる時代になってしまう。言論機関は言論の自由によってその活動を保障されている。今回の毎日新聞の社説を読んでいると、言論の自由は我々だけが享受する、自分に反対する意見の人にはその享受は認めないと言っているように聞こえる。考えようによっては恐ろしいファシストの集団、別の考え方では単なるおバカな集団だなと感じさせる社説である。