8月3日の朝日新聞社説のタイトルは「東京医大入試 明らかな女性差別だ」である。これは東京医大が入試で女子の合格者を全体の3割前後にするため、入試で得点に一定の係数(0.9や0.8と伝えられている)を乗じていたという事件を扱っている。

朝日新聞は、アファームドアクションを知らないのかもね

これは事実であればとんでもない話で、女性差別なのも明らか。そのあたりは朝日新聞の言う通りなのだが、朝日新聞の主張はちょっとズレていると思う。理由は簡単で、この問題の最大のポイントは公正であるべき入学試験が、全く公正さを欠いていたという点にある。それは入試制度、ひいては大学というシステムそのものの破壊につながることであり、決して許されることではない。そこが一番の問題である。

分かりやすくするために、逆だったらどうだったかと考えてみればいい。例えば女子学生を多くするために、男子学生の合格比率を5割以下に抑えていたという事案の場合。不正に行われたアファーマティブ・アクションと言える事案に、朝日新聞の社説はどう答えるのか?

「入試の募集要項に男女比に関する記載はない。このようなあからさまな差別が、いまの時代にありうるのかと、驚きを禁じえない」とあるから、あからさまな差別ではない事案(まさにアファーマティブ・アクション)には沈黙する可能性はある。この新聞は「弱者こそが正しい」というよく分からない正義感を発揮しているせいか、力のないグループが不当な圧力を受けた時には声高に主張するが、力のあるグループの不利益には沈黙しがち。そうした歪んだ価値観、正義感の上に立っているから、社説も何かズレたものになってしまうのだと僕は思う。

社説の冒頭に「女性の社会進出の道を、こともあろうに教育に携わる者が、不正な手段を使って閉ざす。事実であれば許しがたい行いだ」と言っている。読者は「排除されたのが男性だったらどうなんだ?」という疑問を普通に感じるであろう。

まずは今回の問題が不正行為であり、許し難いということはしっかりと示さないといけない。その上で、こうした女性を排除する前近代的な発想そのものがおかしいという持論を展開していくべき。その大事な前提をすっ飛ばす、文章としてお粗末なものになっているのは、朝日新聞の宿痾のようなもののせいであろう。