6月1日の東京新聞の社説、タイトルは「中西経団連 まず憲法観を問いたい」には驚かされた。音声データはこちらから。

経団連は護憲でなくてはならない?

これは経団連の中西宏明新会長体制がスタートしたのに合わせたもので、書き始めからエンジン全開、フルスロットル。

「重要な課題で経済界が政権に引きずられれば、国は行方を誤りかねない。政治と是々非々で向き合う姿勢が何よりも必要だ」。

経団連は政治団体ではない。「総合経済団体」を自称しているのは東京新聞も分かっているはず。その使命についてホームページで「企業と企業を支える個人や地域の活力を引き出し、日本経済の自律的な発展と国民生活の向上に寄与することにあります」と明らかにしている。経済面から国の発展、国民生活の向上を果たすという崇高な理念を掲げているわけで、企業の果たす社会的役割を何より大事なこととするこの理念は、責任ある経済人の団体として当然のことである。

それなのに東京新聞は経団連に「安倍一強政治と明確に距離を置いた議論と判断を求めたい」と、反安倍政権の旗幟を鮮明にせよと迫っている。

東京新聞は経団連は政治と是々非々で向き合う姿勢が最も大事だと言い、「まず憲法観を問いたい」と政治信条を制約するかのような言論を社説に掲げ、さらに現政権と距離を置くべきと反安倍政権であることを求めているわけで、もうクレイジーとしか言いようがない。

東京新聞が社としてどのような考えを持つのも自由。どんなにクレイジーな意見であっても日本は思想・良心の自由で内心の自由は保護され、表現の自由も最大限認められる。

しかし、そのことは同時に他の人の思想・良心、表現の自由も尊重しなければならないということでもある。それこそが責任あるメディアの取るべき態度、スタンスであることはおそらく多くの人が感じているであろう。そもそも安倍一強政治というものがあるとしたら、安倍首相の権力は選挙で勝ったこと、つまり民意にその源泉がある。それに対して詳細な議論を吹っ飛ばし、とにかく異を唱えよということは、大げさに言えば民主主義に対する挑戦に他ならない。

個人や団体の思想や信条に介入するような言動は、メディアとして自殺行為であると感じないのだろうか。仮に東京新聞に「新社長には、憲法観を問いたい。メディアは根拠なき政府批判は慎むべきだ」と他の媒体が主張したら、何と答えるか。きっと「あなたに言われる筋合いはない」と言うに違いない。もし、そうであるならば、同じことをするなよという、極めて単純な話である。

これが日本のメディアの現状。昨今、新聞が売れなくなる理由がわかるような、東京新聞の社説であった。