産経新聞に掲載された「日本人救った米兵 沖縄2紙は黙殺」の記事が全くの誤報であり、さらに事実ではない情報をもとに、沖縄2紙について「メディア、報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ」と罵倒するという大失態を演じたことについて、同紙は2月9日、高木桂一那覇支局長を出勤停止1か月の処分としたことを発表した。

やらかすと思っていたよ、産経新聞

この事件については「また産経新聞か・・やらかすと思っていたよ」の記事内で扱った。とにかく、お粗末の一言で(沖縄2紙を攻撃できる!)と思って、事実確認もせずに飛びついたのだろう。

それはともかく、これに関して毎日新聞の「理の目」というコラムでジャーナリストの青木理氏が産経新聞を激しく攻撃していた。

理の目 産経謝罪記事の根の深さ=青木理

内容は以下のようなものである。

(1)県警取材すらしないのだから、削除と謝罪は当然。

(2)この問題は日本社会とメディアに漂う問題が横たわっている。

(3)背後にあるのは政権や政府の意向に抗う沖縄への苛立ちである。

(4)それを沖縄紙があおっていると思い込み、政権や政府に従わぬ者を「反日」などと位置付けて排除や侮蔑の対象にして構わないという風潮が沖縄に向けて噴出している。

(5)こうした風潮は悪しきナショナリズムの典型。社会の多様性を失わせ、少数者の権利と尊厳を毀損する。

(6)メディアは本来は少数者の側に立ち、公権力をチェックすべきなのに、そうした風潮を煽っており、タチが悪い。

結論を言えば、青木理氏の理解は間違っていると思う。(1)についてはいいだろう。僕も同意するし、誰もがそう思うだろう。

(2)~(5)については、彼がそう思っているだけ「単なる思い込みでしょ」で済む話だと思う。(3)の沖縄への苛立ちを産経新聞が感じているか分からないが、僕は基地反対派と呼ばれる人たちに苛立ちなどない。あるのは怒りや憤りである。日本政府は国民の生命や財産を守らなければならない。そのためには国防力は必要だし、軍事基地も国内のどこかに置かないといけない。置くなら戦略的に必要な位置に置かなければならず、国内の誰かの家の近くに基地がくるのは仕方がないことである。

それは国民が等しく負わなければならない義務であり、どうしても基地の近くに住むのが嫌だったら、住居を移せばいい。日本国憲法は居住、移動の自由を保障している。公共の福祉という観点がすっぽりと抜け落ちて自らの権利ばかり主張する人々におぼえるのは苛立ちではなく、怒りや憤りである。

(6)が一番の問題である。メディアは公権力をチェックする役目を負っていることには異論はない。しかし、「本来は少数者の側に立ち」って何だ? メディア、報道は本来中立であるべき。その判断基準は、基本的人権、民主主義、公共の福祉といった普遍的な価値観である。青木理氏が判断基準として「少数側に立つべき」と考えているとしたら、もはやジャーナリストではなくて政治活動家の発想だと思う。

聞くところによると、青木氏は朝日新聞の従軍慰安婦の問題に関して「メディアに誤報はつきもの」というコメントをしたとか。もし事実なら、そうした相手によって主張が揺れる人間はジャーナリストの資格などないと感じる。

青木氏のようなスタンスでジャーナリストを名乗る人間は少なくない。しかし、20世紀に比べ、今の時代の新聞の読者もネットのユーザーの目は格段に厳しい。権力=悪の図式でしか物を語れない筑紫哲也氏のような発想では、淘汰されてしまうだろうし、淘汰されなければいけないと思う。

青木理氏のこのような記事を掲載する毎日新聞の考えも僕には理解できない。複雑化する社会だからこそ、普遍的価値観を判断基準に是々非々で臨む姿勢が求められていることを肝に銘じなければならないと思っている。