8月5日の朝日新聞の社説は「高校野球100回 無数の支えと励ましと」というタイトルで、当日開幕する夏の甲子園について論じている。音声データはこちらから。

悪文の典型のような社説でしょうね

自社が開催する大会を社説で扱っているが、それはまあ、いい。朝日新聞らしいのが、100回の歴史を刻む大会について戦争と絡めている点。ご存知のように夏の甲子園は1941年から1945年まで開催されていない。この歴史的な経緯について「大会は1941年、戦局の深刻化を理由に地方大会半ばで中止され、太平洋戦争の間、空白が続いた」と説明している。これはその通り、何の間違いもない。

そして、作詞家の阿久悠さんの言葉を借りてこう書いている。「作詞家の阿久悠さんは、敗戦後の故郷・淡路島が舞台の自伝的小説『瀬戸内少年野球団』で『野球のある時代が平和の時代であり、野球のない時代が戦争の時代であった』と記した」。そこに「平和の尊さをかみしめたい」と続けた。つまり朝日新聞は阿久悠さんの言葉を借りて「甲子園は平和の時代の象徴だ」と言っているのである。

注目していただきたいのは「野球のある時代が平和の時代であり、野球のない時代が戦争の時代であった」という部分。ここは阿久悠さんの人生経験から、そのように感じたということで、個人的な見解にすぎない。こんな大事なことは朝日新聞が言えばいいと思うのだが、直接言わないのは、それが歴史的経緯に照らすと必ずしも正しいとは言えないからである。

1918年、今からちょうど100年前の第4回大会は米騒動の影響で大会が中止されている。つまり、戦争以外で大会が中止になっているのである。さらに、日中戦争が始まった1937年からも大会は行われている。

この2つの事実を判断材料に、阿久悠さんが示したステートメントの正誤を阿久悠さんの個人的経験ではなく、夏の甲子園の歴史全体を通して判断してみよう。

「野球のない時代が戦争の時代であった」は誤り(米騒動で中止になっている)

「野球がある時代が平和の時代であり」は誤り(日中戦争時も大会は行っている)

つまり、朝日新聞が「野球のない時代が戦争の時代であった」と断言すると、それは明確な誤りになる。そこで、阿久悠氏の著作を借りて、個人的な見解を論拠に置き、最後に「平和の尊さをかみしめたい」と自分たちの主張をしている。

これが朝日新聞のやり方。明確に誤っているステートメントを個人の経験から感じたものという限定をつけて掲げることで正当化し、あたかもそれが歴史的事実であるかのように伝え、そこを論拠に自分の主張をするという、言葉は悪いが詐術のような手法である。読者をミスリードすることに心が痛まないのかと、報道の世界にいた人間としては思う。極論すれば、甲子園の政治利用。大会に出場する選手への敬意が全く感じられない姿勢に憤りを感じるのは、僕だけではないと思う。