今日12月27日はちょっと目先を変えて、沖縄タイムスの社説を読んでみた。沖縄タイムスと琉球新報の沖縄の2つの新聞は以前から、政治的な偏向が指摘されているが、実際はどうなのか。12月24日の社説「[安倍政権7年目に]行政監視の機能高めよ」を取り上げる。音声データはこちらから。

この言論空間こそ、沖縄の悲劇

 社説は12月26日に安倍政権が誕生して7年目を迎えるにあたり、批判をしている。メディアだから、政権批判は結構なことだと思う。日本のメディアは中国や北朝鮮の官製メディアではないから、様々な見方があって然るべき。ただ、それはあくまでも客観的に合理的に語られるべきもので、言論機関を自称するなら、事実の指摘と主張は明確に区別しなければならない。事実の指摘に評価を交えるのは言葉のプロがすべきことではない。

 その視点から沖縄タイムスの社説で疑問の残る表現がある。1つ1つ見てみよう。

■党内に対しては、人事や公認権をちらつかせ、時にどう喝を加えて抵抗勢力を萎縮させる。官僚に対しては、内閣人事局が局長以上の人事権を把握し、官邸からにらみをきかせる。

 どう喝、萎縮させる、にらみをきかせる。感情的な表現である。どう喝とは広辞苑によると「おどして恐れさせること」であるから、ぜひとも具体例を出してほしい。

■官僚は自己保存本能から率先して恭順を誓い、官邸の意向を忖度するようになる。

 これは日本の官僚をバカにするにもほどがある。僕もお役所を取材した経験は少なくないが、彼らは国民の生活や国益を考え高い志を持って過酷な試験を勝ち抜いてきた人たちが多いから基本的に優秀で、保身第一に考えるような人は少数だと思うし、書いてあるような表現は勝手な決めつけだと思う。「自己保存本能から率先して恭順を誓い」という表現は何をどう見ているのか不明。それはあなた方の妄想でしょ、というのが普通の人の感想だと思う。

■野党の準備不足に乗じて、理由もないのに解散・総選挙を実施し、参院選のない年に対立法案を強引に成立させる。

 憲法は内閣総理大臣が解散・総選挙をする権限を与えており、そして選挙は民意を問う民主主義の根幹を支える制度。選挙をすることを批判する新聞は、民意を問うことに反対するのか。野党は常に選挙の準備をしておかなければならず、そうしないと民意に十分に答えることができない。それは前回の選挙で負けた者が負うべき負担である。政府に反対するだけの野党の準備のために内閣総理大臣が国政をする上で大事な選挙の時期が影響されることの方がおかしい。そして法律は時代の要請に応えるものであり、参院選のある年に対立法案を出さなければいけないなどと考えることに合理性はない。

■3分の2の数の力は、少数意見の尊重にこそ生かされるべきだが、現実は、異論や熟議を封じ込める力になっている。

 民主主義の大原則は多数決。少数意見の尊重も大事だが、多数意見と180度異なる意見であれば、最後は多数決で決めるしかない。異論や熟議を封じ込めるのは、国会審議に応じなかったり、採決の時に暴力をふるう野党だろう。自分たちの意見を通したかったら、選挙で勝つしかない。

■疑問にきちんと答えることなく審議を打ち切り、数の力で押し切るのが当たり前のようになってしまっていないか。

 多数決という民主主義の根幹を、沖縄タイムスの言い方では「数の力で押し切る」なのだろう。もうあれこれ言うのもバカバカしくなる。

■政策の決定過程が不透明で、説明責任が十分に果たされないまま、物事が強権的に進められていく。

 森友・加計学園の問題はそもそも説明する必要があるのかなと思う。物事を進めないと政治の不作為をたたくのがメディアです。選挙で民意を問い、物事を進めていく中で、少数意見とは異なることを進めるのは多々あることで、それをすべて強権的と一括りで語るのは実態を反映していない表現だと思う。

 どうだろうか。僕には民主主義の原則を無視し、根拠のない決めつけ、悪意のある表現で敵を攻撃する政治的プロパガンダにしか読めない。これが沖縄の世論をつくる役割を果たす新聞の社説である。この異常な言論空間に閉じ込められている沖縄県民こそが悲劇であり、解決すべき沖縄問題だと僕は思う。