今日は12月20日付けの朝日新聞社説を取り上げてみた。タイトルは「女性差別 『変える』意思を持とう」

女性の社会進出が十分ではないことは実感されることは少なくないと思うが、朝日新聞はその点に言及し、2018年は女性の差別に関する様々な問題が噴き出したとしている。例えば東京医大や順天堂大の医学部入試で、女性という理由で不利な判定をされたこと、財務省事務次官による記者へのセクハラ問題、日本相撲協会が土俵上で倒れた市長を介抱した女性に「降りて」と促した問題、夫婦別姓を認められない問題など。

朝日新聞は民法の規定を読んだことがあるのか?

医大や医学部の問題は許しがたい問題である。公正な試験が行われていないことは大問題で、大学の独自性の尊重とは全く別次元の問題。浪人した人を不利に扱うというのは一考の余地があるとしても、女性だから点数が低いということに納得する人はほとんどいないと思うし、僕もひどい話だと思う。朝日新聞がおかしいのは、ほとんどの人がおかしいと思うこの医大や医学部の問題を利用して、その後ろに客観性を欠く内容や表現を入れていることである。

特におかしいのが夫婦別姓に関する記述。「夫婦別姓を認めない。未婚の母親への冷たい税制。時代錯誤の家族観に固執する政治に、女性の選択肢が狭められている」と書いている。朝日新聞の社説担当者は夫婦別姓についての民法の規定を読んだことはないのか。民法750条はこう定めている。

民法750条(夫婦の氏)

夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏(うじ)を称する。

つまり、夫又は妻のいずれかの氏(うじ)を称するわけで、女性が男性の氏を名乗らなければならないなどという規定は存在しない。嫌なら女性の方の氏を名乗ればいいだけの話で、少なくとも法律が女性だけの選択肢を狭めているという事実はない。すべて夫婦になる男女の決定に委ねられており、それを時代錯誤の家族観と言う朝日新聞の主張は、客観性を欠いているのは明らかである。

そもそも朝日新聞は選択的夫婦別姓を認めるべきという考えなのかもしれないが、導入した際の社会への大きな影響を考えれば簡単には賛成できない。中国は夫婦別姓であり結婚しても氏は変更されない。それはそれで社会に根付いているし、誰もが一生同じ苗字を名乗るわけであるから、ある種分かりやすい。しかし、選択的夫婦別姓を認めると、結婚して姓が変わる人と変わらない人が出てくるため大きな混乱を招くのは必至。こういう点を考えると朝日新聞の無責任ぶりがよく分かる。

もう一つ、財務省の事務次官によるセクハラ問題であるが、麻生太郎財務相は「『はめられた可能性がある』と言い放った」と書いている。「言い放つ」とは広辞苑第7版によると「思うことを遠慮なく言う」という意味。麻生財務相が遠慮なく言ったかどうか、それは聞いた人が判断することである。この一文は、朝日新聞の主観を交えることで、言ってはならないことを言ったというニュアンスとして伝わるような仕掛けになっている。事実と評価を分けて書くのが中立の立場の前提。言論機関なら「言った」と淡々と客観的事実を伝え、「我々としてはこの発言は許し難い」と書くべき。事実を記述する中で主観を交えて読み手に一定の価値観を刷り込む手法は、テレビのサビリミナル効果と似たような方法と言えるのではないだろうか。

こうして見てみると朝日新聞には、姑息とか卑劣という表現がぴったりくる。