名護市長選挙の結果についての沖縄タイムスの阿部岳記者による「記者の視点」というコラムが公開された。名護市長選挙は米軍普天間基地の辺野古へ移設に反対する現職の稲嶺進氏が落選して、新人の渡具知武豊氏が当選した。

阿部岳記者、おかしいですよ

この結果について、阿部岳記者は「陰の敗者はこの国の民主主義だった」と書いている。選挙という民意を直接政治に反映させる民主主義の根幹を支える制度による決定を、民主主義の敗北とはどういうことだろうか。彼の文章の論旨を示すと以下のようになる。

①世論調査で市民の3分の2が辺野古新基地建設に反対

②しかし工事がじりじりと進み、市民は止められる希望を持てなかった

③稲嶺氏は公約を守るので、日本が民主主義なら辺野古新基地建設は止まるはずだった

④渡具知氏が当選なら補助金交付

⑤安倍政権が選挙の構図を変えて、市民から選択の余地を奪った

⑥市民は反対してもダメだと渡具知氏に期待

⑦民事主義と地方自治は、ついにへし折られた

要は、世論調査で3分の2が反対しているのに政府がじりじりと工事を進め、市民に「もうダメだ」という思いを抱かせ、選択の余地を奪ったから民主主義が敗北したということらしい。もし、彼が本気でそう考えているとしたら、自分の政治主張のために事実から目を逸らしているのか、あるいは合理的な思考ができない余程のバカか、いずれかだろう。

ちなみに阿部岳記者については、以前にも書いたので参照を。

沖縄タイムス阿部岳記者、楽でいいね

まず、前提として市民の真意はどこにあったかという点を考えてみよう。彼の主張では世論調査の3分の2が反対しているから、それが民意であるとしているのだろう。まず、世論調査の結果の方が選挙結果より民意を反映していると考える時点で合理性を欠いている。

一般市民の身になって考えてみてほしい。「基地があった方がいいですか、それともない方がいいですか」と聞かれれば「そりゃ、ない方がいい」と答えるだろう。僕だって同じだ。「回転寿司と、老舗の寿司屋の寿司、どちらが食べたいですか」と聞かれれば、誰だって老舗の寿司屋を選ぶのと同じだ。しかし、料金や家計の状況を考えれば現実的な選択肢として回転寿司を選ぶ人が多いだろう。

選挙も同じ。「基地がこなければいいな」と思っても、それ以外の事情を総合的に考えれば、基地を受け入れて生活した方がトータルで自分たちにとってプラスになると考えて投票行動をする、それが民意である。つまり、責任のない立場なら基地はない方がいいと言っても、選挙のように直接市長を選ぶ、一人一人が権利の行使であると同時に責任を持たざるを得ない場面では違う判断をするのは十分に合理性のある話。それこそが民主主義である。

新聞記者ならそうした民意の揺れを取材して沖縄の現状、政治の現状を伝えるべきだろう。そうした簡単にできそうな取材すらせず、自分の脳内で原稿を完結させている新聞に金を出して読む価値があるのか、疑問である。

投票率は76.92%と市長選にしては異常なまでに高い投票率。この結果は、勝ったのは民主主義であり、負けたのは阿部岳記者をはじめとする基地反対派であるのは明らかであろう。

結局、阿部岳記者は自分が気に入る結果になったか否かという判断基準しか持ち合わせていないと、僕には感じられる。このレベルの人は赤旗あたりで記者をやればいいのであって、ジャーナリストを称するのは、ジャーナリストを名乗る僕にとっては甚だ迷惑な話でしかない。