9月14日に亡くなられた浜尾朱美さんにお別れをすべく、何とか仕事をやりくりして9月20日(木)、五反田にある斎場へと足を運んだ。ロビーには浜尾朱美さんの写真や映像が流されるコーナーが設けられていた。懐かしい笑顔が並ぶそのコーナーは、前日にTBSの社員であるご主人が自らセッティングしたのだという。

浜尾朱美さんのスクラップでしょうか、懐かしき日々

焼香をして故人と対面したが、美しさはそのままだった。死因はガンと聞いていたので、もしかしたらかなり痩せてしまっているかもと思ったが、生前の美しさそのもの。

穏やかな表情を見ていると、その顔を眩しい思いで見ながら話をしていた1990年代の日々を思い出した。僕は29年とちょっと日刊スポーツ新聞社に在籍したが、1990年代初頭から彼女と仕事を通じて接点があった時期が一番充実していたように思う。その日の仕事が終わり、夜、テレビをつけると浜尾朱美さんがニュースを読んでいる。(浜尾さん、今日も頑張ってるな)と1日の終わりを実感する、それが当たり前だった日々が今は懐かしい。

焼香が終わった時に喪主であるご主人の前を通る時に「元・日刊スポーツの松田隆です。浜尾朱美様には生前大変、お世話になりました。心よりご冥福をお祈りいたします」と申し上げて頭を下げると、あちらも僕のことを分かってくれたようだった。

長野五輪の時、僕が書いた記事をご主人はとても面白がってくれたという。僕たちの世代なら分かるだろうが、「ジャイアントロボ」のことを書いた時に、大作少年の声に応えるジャイアントロボの声を「まっ!」と表記した。実はそこを一番読んでほしかったのだが、記事が出た直後に浜尾朱美さんから「千葉(ご主人のこと)が『松田がやってるよ』って喜んでたわよ。『まっ!』っておかしかったね」と聞かされた。そんな記憶の中に埋もれてしまったような小さなやりとりが頭をよぎる。

出棺する時は僭越ながら、棺を持たせていただいた。浜尾朱美さんの重みを感じながら黄泉路への旅立ちを少しでもお手伝いできたのは、良かったと思う。

告別式終了後、仕事場に向かった。気持ちを切り替えるのは簡単ではないが、浜尾朱美さんが生きていたら(『松田、しっかり仕事をしろよ』と言うだろうな)と思って目の前の仕事をこなした。月並みだが、人生、そんなものかもしれない。

さようなら。そして、ありがとう、浜尾朱美さん。